雪色をした彼のきれいな顔に見慣れない赤を見つけて、ちょっ、ちょっと! と慌ててその自分よりもだいぶ低いところにある真っ黒な頭にむけて声をかけた。
「ひじかたくん! ちょっと待てって」
「……ンだよ」
律儀に返事は返してくれるけどすたすた歩みは止めないどころか振り返ってすらくれない。仕方なしにそのあとを着いて銀八は歩く。
うんほんと口が悪い、でも今声変わりしたてなまだそんなに低い声の、ぶっきらぼうなお返事だけじゃなしに先生きみのかわいい顔がみたいんだ、だからこっち、向いて!
「待ちなさいって言ってんの。こっち向く」
ぐいと手を掴んだらやっと止まった、けど、やっぱりかたくなに背中を向けたままだ。あ、土方くんつむじ二個あるんだねかわいい、っていうかこの子はなんて言うかなんでも、それこそ全部かわいいんだけど、とりあえず今はそういうことはおいといて。
「なんですかせんせい」
こういう慇懃無礼な物言いをする時は、何がかはともかくかたくなになっている時だ。怒っていたりなんか悲しかったりして、土方くんが世間にバカヤローと言って回りたい時の声。何で知っているのかっていったら多分それは俺が土方くんをすごくすきだからで、きゃっ言っちゃった、言ってません。 心の中で銀八があれこれひとり会議をしている間もまだ未完成な細い腕が手のなかで暴れている。ぎゅっとつかんだらきっとまだ細いこの子の骨はぱきっと嫌な音をたてるだろう。その切なさにぞくぞくするけど、そんなことを言ってる場合じゃない。

「その顔、どうしたの」
「……」
「土方くん?」
長い長いいやな沈黙のあとで、やっと土方が重い口を開いた。「…けんかした」
「うん、だろうね。てかさ、それはいいんだけど」
「いいのかよ」
「いいよ、この際。俺が訊いてんのはなんで鼻血なんか出しちゃってんのってこと、」
「っ、せえな!」
かっこいいのにもったいないとか言おうとしてたことに銀八が気付いてあっとなる前に、土方の方がぶち切れた。ほんとにこの子、びっくりするぐらい短気だ。掴まれたままの袖をずぼっと引っこ抜き、学ランを置き去りにして廊下を走っていってしまう。銀八は、
「ちょっ、おま、廊下走んなアァ!」
 などという間抜けな声をかけるしかない──脱兎のごとく、走っていってしまうその背中へと。それから、脱ぎ捨てられてまだちょっと土方の体温が残っている学ランをそっとたたんで、どきどきしながらそれを職員室まで持ってかえってしまった。
職員室は運が良いのか悪いのか、どうしてか、誰もいなかった。銀八はぬくもりの残る学ランをそっと抱えて自分の席に座る。落ち着かなくて立ち上がって、また座る。

中学生のあいだに背のぐんと伸びる子どもは多いから、土方の両親もそんなことを考えたんだろう、彼のからだはまだ未完成といったふうだったし、学ランはまだ余裕がいくぶんかあった。つまりはあのまだまだ細いからだが制服の中で泳いでいたってことだ。もし銀八が変な気を起こして、彼のことをぎゅっと抱きしめたら、きっと
(すっぽり、ジャストサイズ)
包み込めてしまっていただろう。


「うわ、いっ、」
がたん、と立ち上がったらキャスター付きのいすがぐるんと回って銀八の背を打った。おもわずしゃがみこんだ拍子にも、手から土方の学ランを離さなかった自分なんかすげーけなげ、なんて思う。しばらくそのまま立ちつくしたあと、また手持ちぶさたの銀八はいすに座った。からから、と音をたててキャスターつきのいすがちょっとでこぼこしている木の床を滑る。
「いっ、てえぇ……」

土方、土方くん、ひじかたとうしろうくん、 毎日まじめに学校にきてる彼は何を思ってるんだろう、何があんなくやしそうな目を彼にさせたものだろう。どうせ中学生だもの、またあの仲良しの沖田くんあたりとけんかしたとかそういう話なんだろうけど、
子どもの生きる世界は狭い。大人になったからってそんなばかみたいに拡張されるかっていったらそんなこともないけど、でも子どもと大人じゃけたが違う、それはしょうがない。生きてる年数で正しさや偉さが決まったりはしないけど、重ねた年数で自分とは別の場所に価値観を置いて、冷静に生きることができる──ひとも、いる。少しは。
大人はひとりじゃ生きていけないけど、子どもは世界で自分ひとりだけのような気がしている。その世界が少しずつ友だちや周りの人間から影響されて形を変えて、今一生懸命になってることだってすぐにほうり出して、あっというまに銀八のことなんか忘れて、外の世界に飛び立っていってしまう。今の世界は狭い箱庭だ。青虫がすぐきれいな蝶になってしまうみたいに、土方くんだってすぐに大きくなって、制服の余った部分なんてすぐになくなって、銀時の声なんてあっという間に届かなくなって、
(俺のことなんてすぐにわすれてしまう)


彼を正しいかたちで在れと思う、そんな健全な彼がきっと、いとおしい、かわいい、と思う、でも、それだけじゃ銀八は生きていけない。机につっぷして学ランをぎゅっとかかえたら、なんだか土方くんのにおいがした。若木のようなにおい。さみしい、という言葉が喉の奥でだまになって銀八を苦しくさせる。それでもきゅっと抱えたそれを離せなくて、深々と吐いたため息はかなしいくらい苦かった。

20120720
スピッツのスピカをきいて衝動的に書いた