あ、やべかぎ忘れた。家に入ろうとしたタイミングで気付くなんてついてない、エントランスで気付くなんて。
だめもとで家の部屋番号をプッシュして「呼び出し」ボタンを押してみたけど、案の定反応はなかった。そりゃそうだ。今日は母親も帰りが七時過ぎるって言っていたはずで、土方自身も今日は部活のミーティングがあるのでいつもよりも少し遅くなったのだった。あー、ばかした。壁にかかっている時計を見るとまだ六時になったばかりで、父親はいつも遅いし、姉も兄ももうひとり暮らしをしているから当然いないし、お母さんが帰ってくるまであと一時間ここにいなきゃいけないってことだ。くそ!

学校にはケータイを持って行ってはならない規則なので、とりあえず土方はそのくらいは守っている。そうでないと部活が出場停止になったりして近藤さんに迷惑をかけるからだ。だって近藤さんはもう三年で、今年の夏が最後の大会なのだ。一緒に部活ができるのもあと半年くらいしかない。
土方の通っている中学は全国の常連校になっているけれども、だからといって気が抜けるわけじゃないし、ケータイ持ち込みなんかで大会に出られなかったりして、優勝のチャンスを逃したりなんてしたらそれこそ総悟に何を言われるか解ったもんじゃない、土方だって絶対にそんなことはしたくない。だから、くだらないとは思いつつもちゃんと校則を守っているのだった。
ケータイを持ってないってことは誰とも連絡がとれないってことだ。つい十分くらい前に近藤さんと別れたばかりだから、引き返して家におじゃまできないことはない、幼なじみの総悟ともども、三人の家は近い。けど、ちょうどお夕飯時だし、親しき仲にも礼儀ありってやつだ。こんな時間に上がり込んだらお夕飯も食べていきなさいとなるに決まってるし、母親までもしかしたらお呼ばれしてしまうかもしれない、近藤家と土方家はそれくらい仲良しだから。昔から共働きの土方は、よく近藤さんちにそうやってお世話になっていた。中学にあがって土方の帰宅時間が遅くなったから、最近そうやっておじゃますることは減っていたけれども、それこそ今まで数え切れないくらい何回も何回もお世話になっている。そんなわけで、たかだか中学生とはいえ、近藤さんに恩義を感じている土方としてはずるずると好意に甘えてしまうのに抵抗があって、なんとなく抵抗があった。かといって総悟のところに行くのはなんだか、ものすごくいやだ。何をされるか解ったもんじゃないし、山崎も原田の家も遠い。


仕方なしにマンションの向かいにある小さい公園に歩いていって、ブランコに乗ってみる。きい、ぎい、古くなった金属の立てるいやな音がする。ドラマとかでよく公園で誰かを待ってたりするシーンがあるけど、誰か一緒にいてくれるならともかく、ほとんど遊具のない公園でひとり、時間をつぶすのはなかなか難しい。案の定五分もせずに飽きてしまって、土方は薄暗くなり始めた空を見上げた。冬でよかった、夏だったら蚊に食われてえらいことになっていただろうから。うーん、しかし早く帰ってこねーかな。時計もないので、時間の感覚もよくわからない。またぎし、と音をたててブランコをこいだ。鎖を握りしめた手のひらが冷たい。
「ひじかたくん」
と、そこに声をかけてくるものがある。銀八だ、クラス担任の。どこかぼんやりした半分くらい眠そうな目と、肩に掛けたかばん。トレードマークでもある白衣はさすがに学校の外じゃ着ていないらしい。「先生」
何してるの、と銀八は訊ねながら、隣のブランコに座った。土方はそれに返事をする前にダウンジャケットを着て、もこもこの耳当てをした銀八をしげしげと眺める。ジャケットの色は派手なオレンジだ。他の色なかったのかよ、と自分だったら思うだろう、が、色素のうすい銀八には似合っていなくもないような、でもさすがにちょっとそれはどうかと思わないでもないような。ピンクでないだけましなのか。あとあと訊いたところによると「セールで買ってその色しか残ってなかったんだよねえ」とのこと。ふーん。
「ハハオヤ待ってる」
「えっ」
「……虐待とかじゃねーから。俺がかぎ忘れただけ」
さっと青ざめた顔が土方の言葉を聞いてほっとした表情になる。学校じゃあれだけぼやーっとした無表情でいるくせに、ふたりになるとこうやって一喜一憂する犬みたいになるのがこの先生は面白い、と土方はこっそり思っている。頭もふわふわだし、なんか大型犬みたいな気がしてきた。先生のくせになんか上目遣いだし。



「……寒くねーの」
そのまま少しのあいだ会話がとぎれたぎこちない間ののちに、まるで気を遣うみたいな声音でそう訊ねられる。ふしぎな気分になって銀八を見るとすぐ目を逸らされる。
土方と銀八の距離は学校にいるとき、そう近いわけじゃない。土方は先生に懐くタイプじゃないし、銀八の近くにはいつも志村姉弟とか神楽とかさっちゃんとか、誰かしらがいて改めて入り込めるような空気でなかったというのもある。別に銀八に近づきたいかと言われたらどうでもいいというのが土方の気分ではあったけど。だって先生だし。
「せんせーは寒そうだな」
襟を立てた上にマフラーまでしてるし、手にはミトンみたいな手袋がはまっている。髪の毛のまとまらない感も相まって、全身もこもこだ。寒さのせいか頬が赤い。
「寒いよー、毎日寒い、こたつ持って学校いきてえよ。つーか学校が来いみたいな」
「せんせーんちじゃ多分全員入りきんねーだろ」
きい、きい、とブランコをこいでいた銀八がなぜかぴたっとそこで止まった。足が伸びきって、なんだか人形を無理矢理椅子に座らせたみたいになっている。あの、とかえっなにそれってとか何かもごもご言ってるけど、冬の風の冷たいのと割と強いので遮られて銀八が何を言いたいのか土方には良く伝わらない。
「せんせーんち近えの、こっから」
「つうかさ今気付いたけど土方くんおまえ俺にため口、いいけどさ、近くない、うん、遠い」
「ふうん」
別に他意なく訊いただけなのに、銀八はへんなテンションで返事をしてきた。おとなってわけわかんねーな、と十四歳になったばかりの少年でしかない土方は思う。それからややあって、もごもごと実に話しづらそうにしながら、あのさ、と銀八が言った。
「手が寒いから、つないでてくれませんか」
そんな手袋してるくせに、と思ったけど、人助けだと思ってとまで言われたので土方はいいよと手をつないでやった。銀八はわざわざミトン型の手袋を外して、ブランコを握って冷えてしまった土方の指先をきゅっと握った。まるで確かめるみたいに。じわりとそこだけ暖かかった。

せんせい好きです

20120707
(土方くんのことを)(土方くんが中学生だと先生は土方くんをもてあましそう)(かわいい)