座敷のある居酒屋でのことだった。俺がそこがいいと言った。
俺がそう注文を付けるのをきいた土方は眉をよせて怪訝そうな顔をしていたけれども(何せ金の大半を出すのは土方だ──)、ふたつ返事でいいぜ、と言ってくれた。俺は土方の顔をまともに見れなかった。こうやって会うのも次が最後になる。そう思うと何だかへこんだ。自分から言い出したことなのに。
約束を取り付けたのは、その会話があった三日後のことだった。珍しく土方はそこまで忙しそうにしていなくて、俺の方はまあ割といつもだけど、暇だった。約束の時間きっかりに、土方はもはや見慣れた真っ黒な着流しのうえに、きれいな砂鼠色の羽織であらわれた。どうしたんだって訊いたら(羽織を。土方は色男なのに、身なりにあれこれ気を遣ったり着飾る方じゃない)、もらった、と返ってきた。誰にと声が険しくなるのが自分でも滑稽だったけど、でも押さえられなかった。ばかみてーだなまじで。「とっつぁん」
松平のおっさんならしょうがない。土方の上司の更に上司だし、「やるこたむちゃくちゃだが、世話になってる」という言葉にうそがないことを俺も知っているからだ。座敷の部屋の、こぎれいな個室だった。あと三人くらいはゆったり入れそうな掘りごたつの部屋だった。土方はこっちの生まれのくせに、西の方の酒が好きだ。メニューを一瞥して獺祭があるのを見ると、それを熱燗で、とだけ注文を付けた。猪口ふたつ、俺が横から口を出す。あとのメニューは大抵俺が決める。この店はおでんが売りだったらしくて、細々した食い物のメニューとは別に、「おでんのメニュー表」が用意されていた。それを覗き込んで適当に頼む。がんも、つくね、卵に、大根。酒を飲む時はそんなにあれこれ話すわけじゃない。もちろん日にもよるけど。ふたりのタイミングがあえば、なんやかやとしゃべり倒して過ごす夜になる。でも最近はこうして会ってもすぐ角を突き合わせるということもなくなったし、わざわざ声を荒げて主張をしなくても大丈夫になってきていた。

腹がくちくなったころ、俺は口火を切った。
終わりにしたい。 
何て言おうかさんざっぱら悩んだのに、口から出したらたったそれだけの言葉だった。猪口こそ複数持ってきてくれるよう言ったものの、結局この日は酒を飲まなかった。土方はあまりにも落ち着いて見えて、むしろこちらが狼狽してしまうほどだった。見ているこっちが泣きたくなるほど、土方はいつも通りに見えて、きれいで、とてもまっすぐだった。でもそれだけだった。
俺が言うだけ言ってふらりと部屋を出るため立ち上がっても、土方は追いかけてきてはくれなかったし、ひきとめてもくれなかった(もちろん)。つい、ときれいな目で俺のことを見て、ひとこと、
「わかった」
と、言っただけだった。

俺はあれこれと注文を付けたり頭の中でああだのこうだのとシミュレーションをしたりもしたくせに、結局ひとつも格好が付かないまま家に帰った。自分で言ったくせに、自分の使った言葉に打ちのめされているのが何だかすごくばかみたいで、そう思ったら泣けてきて、もうどうしようもなかった。





実は、こういう話をするのは初めてじゃない。もう多分、三回目にはなっているはずだ。前の二回は俺が振られる側で、土方が振る方だった。一方的な断絶通知に俺は泣いたり酔ったり暴れたりして、世界がこれを別れ話と呼んだって俺はそれに抵抗してやる! みたいなノリで戦って、そのたび土方のこころを取り戻してきた。というのは、まあうそだけど。
一回目は確か、ふられたーと思ってへこんでへこんで、やっと気分が落ち着いた、ってころにしれっと連絡してきたりなんかして、そのまま元サヤに戻らせてもらった。
二回目はすげーけんかをして(どんな理由だったかはもう覚えてないけど)もうてめーなんか知るか、俺こそおめーなんかどうでもいいよみたいなけんかをした。でもそのすぐあと俺んちに来たりとか飲みに行ったりとか、割に普通にしてた。なのに急に連絡が付かなくなって、あれっこれもしかして土方、こないだのこと根に持ってたのか、って俺が考え始めたとこに、土方がまたふらっと現れた。なんでも上様(これは土方の表現)の京都訪問にあわせてひと月の京都出張をしていた際におおけがをして、そのまま向こうで入院することになってたんだって。しかもそれを、俺は全部ジミーに教えてもらった。土方と会ったのは日中、あいつが巡回をしていた時の話だ。そんときちょっと雰囲気変わったな、とは思ったんだけど、俺はその時新八と一緒にいたし、向こうとしてはまだけんか中なのかなとか思っていたので声をかけずにやり過ごしてしまった。それをあとですげー後悔して、わざわざ屯所まで乗り込んでいくことになったわけだけど。
まだ本調子じゃないからって、土方はいつもよりもずっと早く自分の部屋に引っ込んでいた。そこに乗り込んでいって何で言わなかったんだよ心配だからもうずっと俺といろよ! ってぽかんとしている土方に復縁を迫って(こういうと何かすげー昼ドラか午後三時のゴシップニュースってかんじ)、よりを戻した。土方的には、あのけんかのせいでもう終わりになったと思っていたらしい。銀さんは物持ちいいほうだから、って言ったらしかめつらになって俺はてめーのもちもんじゃねえとかなんとか言ってたけど、でもちょっと耳と鼻先が赤くなってたのを俺は見逃さなかった。でも、もうそれから暫く経ってる。確か二年くらい前の話だ。こういう風に一緒にいるようになってから六年、はっきり覚えてるわけじゃないけど、そのぐらいは一緒にいる。

成長がないのは俺だけって遠回しに言うみたいに、周りの変化は著しかった。土方は六年の間に髪を切ったし、神楽はエイリアンハンターとして宇宙に出て行ってしまった。新八も道場を再建するまであと少しって感じだし、妙はここ半年ほど前から近藤とつきあってる。とうとう観念したのか、それともほだされたのか微妙なとこだけど、まあそういうことだ。結婚までもう秒読みか、って言ったらさすがにちょっとだけ嫌な顔をしてたけど、でもまんざらじゃなさそうだった。その話をした時の土方がいつものポーカーフェイスで隠しきれないといった風の微妙な顔をしていてやけたとか、まあそんなことはどうでもいいんだけど。
近藤は相変わらずのゴリラだしジミーも相変わらず時々見失うくらいに地味だけど、土方の身内でいちばん変化があったといえば、沖田くんだった。
沖田くんははたちをすぎるまで背が伸び続けて、とうとう土方のことも俺のことも追い抜かし、まだ子どもっぽさを脱皮しきれていないかわいらしい青年って感じだったのが、今や堂々たる色男っぷりを江戸中にとどろかせるようになった。
土方はと言えば、前よりもおとなしくなった。こういう物言いは変かもしれないけど、いちばん表現としては似合いだと俺としては思う。三十を過ぎて、それまで制御出来ずに流れ出る一方だったマグマが内に籠もるようになるというか、今までもあったすごみが更に増した、とでも言う感じだ。物騒な色男(沖田くんとは種類の違う)ぶりも相変わらずだったが、なんて言うか、若い頃には備わっていなかった何かが年を重ねるにその冷たく整ったおもてに浮かぶようになった。ずっと一緒にいる俺ですら、時々あてられてぞっとすることがあるくらいだ。おんながきれいで居られる時間はわずかだとかって言うけど、きれいなおとこについては、その限りじゃないんじゃないか。少なくとも土方はそうだった。もともときれいな顔をしていることは嫌ってほど知ってたけど、年齢と共に貫禄が備わってどんどん色男ぶりが増しているというか。
もうすっかりえらくなってしまったから、今は定期的に巡回をする必要もなくなったらしいけど、でも土方は今でも時々暇を見ては自分たちのホームだからとかぶき町を見回りしていたりする。時には沖田くんと連れだって、 そうすると、もう町中の視線はそっちに向かってしまう。ふたりを熱心に見つめる視線は主に女のものが多いけど、その中に物騒な色をはらんだ男のものがあったりして、それを山崎とか監察がチェックするのにちょうどいいとかなんとか、 でもそれだけじゃないってことも、時々行き当たる俺は知っていた。土方とたまに外で飲むことがあっても、外野の目は大抵土方にだけ集中している(そのたびにこいつは男と寝ることを知ってるんだぜって言いふらして回りたくなる──)。だからってわけじゃないけど、最近は家で飲むことが増えていた。純粋に土方がえらくなって外で飲もうってなるとボディガードがついて来たりするのがうざったかったっていうのが主な理由だったけど。
万事屋の方は俺ひとり体制に戻っていたので気兼ねをする相手もいないってことで、主に宅飲みの会場は俺んちだった。神楽が出て行ったことで経済的にもだいぶ余裕ができるようにもなっていて、おかげで二年前、とうとう万事屋にはエアコンがついた。ちょうど土方とよりを戻したくらいのころだ。エアコン買うから一緒に来て欲しいと頼んで、ふたりで一緒に買いにいったのだった。懐かしい。




さて、二日間泣き通しだった。土方くんと別れてから、っていうか俺がふったのか、一応。泣いて、寝て、を繰り返したら頭がものすごく重くなってて自分でもびっくりした。最近では割にまじめに働いてたから、こんな風にぐうたらするのも久しぶりだった。さんざん体中の水分を吐き出しまくったあと、猫探しの依頼があったので外に出た。
呼ばれていった先はとんでもなく豪勢なお屋敷だった。ホラーゲームにでも出てきそうなすげー洋館だ。応接間に通されて(万事屋に来たのは執事って感じのひげのおっさんだった)、赤いリボンを巻いた黒猫の写真を差し出される。色気たっぷりの未亡人は悩ましげに目元を潤ませて、この子が私の支えなんです、と言った。なんでも亡くなった旦那が結婚の記念にって飼ってくれた猫だとかで、そのあと三ヶ月もせずにずいぶん年上だった旦那はしんじまったとかなんとか。俺は話をぼんやり聞きながら、なんでこのひとこんなえろい雰囲気めっちゃ醸し出してんだ、つい半月ぐらい前に旦那が亡くなったばっかなのに、あーもしかして口元の泣きぼくろのせいか、なんてきおとをつらつらと考えていた。土方は全身、どこもかしこもつるつるで、ほくろのひとつもなかった。あんな食生活をしているわりに肌は白くてしみひとつなかったし。大なり小なり傷を負った男の肌ではあったけども、もちろん。俺も色は白い方だけど、土方のとは種類が違う。色男はこんなとこまで日の打ちどころがねーんだな、ってはじめて土方と寝たときに言ったら、どうでもよさそうな顔でふん、と鼻を鳴らされた。事実、土方にはどうでもいいことだったんだろう。あいつは、自分の顔とかあんま興味がなさそうだったから。でも時々、酔った時に俺の顔のことは好きだ、と言ってくれた。もっとちゃっきりした目ェしてる時だけな、という照れ隠しが、なんだかひどくかわらいらしくて、今思っても愛おしい。自分で、ナシにしたくせに。

ぴゅうぴゅうと冷たい北風のふくとんでもなく寒い日の夕方だった。完全に暗くなる前にと、俺はあちらこちらと黒猫を探して歩き回った。だって真っ暗になってしまったら黒猫なんか見つけらんなくなっちまう。ここはスピード勝負だ、なんて意気込んでいた俺をあざ笑うみたいに、猫はあっさりとみつかった。なんとお屋敷の屋根の上にいたのだ。
そっから猫を救い出すのにちょっと時間はかかったけど、俺が思っていたよりもあっさりと久々の依頼は解決してしまった。猫の背中には、探しに出る前に何度も何度も未亡人直々に念を押されたハート型の白い毛がふさふさと生えていた。つかまえた時ちょっと暴れたけど、それ以外はおおむねすごくおとなしい猫だった。歓喜する奥さんを尻目に、猫は静かな目でひたと俺のことを見つめてきていて、一度も鳴かなかった。俺はそれを見て、なぜか土方みてーだななんて思っていた。
猫一匹を見つけただけ(しかもすげー短時間で)には過ぎる謝礼を受け取った上に、それで一杯引っかけて帰ろうとか思っていたら夕食までごちそうになることになった。飲みつけない赤ワイン(というか飲むのはほとんど初めてだった)でほろよいになりながら帰路につく。美人の未亡人は豊満な肉体を見せつけつつ送ると申し出てくれたけど、ちょっと夜風に当たりたかったので固辞して、歩いて帰ることにした。大福みてーにきれいな満月がぽっかりと空に浮かんでいる。前あれが何に見えるかで、土方とちょっとした口論になったことがある。ふたりともほろ酔いだったせいだ。覚えてる、というよりも満月を見たせいで思い出した、の方が正しかった。あいつは確か皿一杯のマヨとかとんでもねーことを言ってたんだった気がする。
「……マヨじゃねーだろ」 どう見ても。あのときと同じせりふだった。土方は確か、何言ってやがんだそのものじゃねーかとかなんとか言って、それから、


「てめーの目は節穴か」
まるでつかみ合いのけんかの最中みたいな、唸るような低い声だった、たしか──今まさに記憶と同じ声、が、
した。

慌てて振り返ろうとしたら、ぽれっと足下がよろけてしまって転んだ。塀に思い切り頭までぶつけてしまって割と痛い。「何してやがる、酔っぱらい」
膝を突いた体勢のまま肩越しに顔を後ろに向ける。そこには両手を制服のズボンのポケットに突っ込み、口元にはくわえたばこ、襟巻きを巻いただけの軽装で、柄の悪いちんぴらおまわりがそこに立っている。こけたせいで(酔ってるせいだ、くそ、年のせいだとは思いたくない──)、見上げる形になったその顔は、その柄の悪さを全部裏切っておそろしくきれいだ。しかもでかすぎる満月を背にして立っているせいで、まるで光を背負っているように見えた。いつも髪も服も黒に同化してしまう土方の縁を、きれいなやさしい月光が縁取っている。
「あ〜、……」
全身から力を抜くと、酔ったせいで振り向いているのもしんどくなった。寄りかかった塀にそってずるずると蹲ると、ごつんと頭が地面にぶつかった。やっぱり割と痛い。だから夢じゃない。
「…何やってんだてめーは」
もう一度土方は言って、蹲って動かない俺の傍にしゃがみこんだ。目は開けてるけど顔は地面とこんばんはしてるからそのようすは見えない。けど、声が近くなったので解った。土方はああいうけど、目も耳もちゃんと機能してることだけは間違いない。だって、さっき見たいつものしかめつらな土方の顔も、いつも通り不機嫌そうな土方の低い声も、ちゃんと聞こえてる。間違いなく正常に。
「……おい、万事屋」
俺が無反応だったからてっきり寝てしまったとでも思ったのか、子どもをあやすようにちょっと潜めた声で土方がまた俺を呼ぶ。懐かしい響きだ。さよならすると決めたのはついこの間だったんだから、そう思うには早すぎるけど。でもずっとその声を聴いていないような気がした。
寝るような関係になって、お互いに思いを向け合うことを許すようになっても、土方はずっと俺のことを「万事屋」と屋号で呼び続けた。時々戯れで名字を呼ばれたりすることもあったけど、基本的には何をしていても万事屋、の一点張りだった。もしかしたら土方なりの照れとかそういうものあったのかもしれないけど、今となってはそれを確かめるすべはない。だって、もう全部終わりになったことだ。俺がしたことだ。
土方のたばこのにおいがふわっと近づいてきて、俺の髪を不器用に撫でていった。その冷たい手の温度を知っている。いつまでもそう思っていたい。終わりにしたくない。俺の声は嗚咽に紛れず、まともな音になっただろうか。彼の手は優しく、俺の髪を撫でただけだった。



ビューティフル、グッバイ

20120919
マルーンのアルバムをきいて すごく好き