電気の消された休憩室のなかで、自販機のライトだけが煌々と光っている。土方はその前を素通りして、いちばん奥の喫煙室の引き戸をあけた。こっちにもおいてある缶コーヒーの自販機の光が右奥の壁だけを青白く照らしていて、少しだけ不気味だ。出入り口の壁を手で探って、電気をつけた。ちょっとの間のあと、ぱち、ち、という音がして蛍光灯がついた。ついでに換気扇のスイッチも入れる。こっちはすぐに動き始めたらしい。ファンの回る音が聞こえてきて、少しずつ大きくなる。
はあ、とため息を吐いて頭をかきながら自販機の向かいにおいてある薄汚れたソファに脚を向けたところで先客に気づいた。うなだれている銀色の髪の毛だけがちょうど目に飛び込んでくる。ふたりの間に据え置き型の灰皿がどっかりと鎮座しているせいだ。「……坂田」
十分くらい前から姿の見えなくなっていた同僚の名前を呟くと、んがっ、と声に出して銀時が顔を上げた──いつもよりも二割り増しで眠そうな目。変な模様のネクタイによだれのあとが走っていて、それを見て土方は顔をしかめる。だらしねーな、おい。

「たばこ吸いじゃねーくせに何してやがる、こんなとこで」
「あー、んー、寝てた」
「……見りゃ解る」
「だって休憩室ソファねーんだもん。喫煙室だけ贔屓だよな」
ソファがこっちにだけあって休憩室そのものにはおいてない理由は、社長が喫煙者だからだ。むかし自分の家で使っていて、もう使わなくなったやつを何年か前に持ち込んだとかなんとか、ほんとかどうかは知らないがここに入った時にそうきいた気がする。


土方は銀時の隣にどかっと音をたてて座り、たばこを取り出してくわえた。銀時がぼんやりとこっちを見ている気配があるが、気づかないふりをする。どうでもいい話だが、銀時はよく「おめーの横顔のここ、えろい」とかなんとか言って、よくあごのラインを愛撫するみたいに撫でてくる──どうでもいい余談だが。あのさ。銀時がソファの飛び出した糸をいじくりながら言う。
「……おめーのこと待ってたっつったら、晩飯とか行ってくれんの」
「いつ終わるかわかんねーのに?」
そう言って煙を吐く。次から次へと、変なタイミングで仕事が重なってちっとも前に進まなかった。戻ったら議事録をまとめて次の会議資料作って、プレゼンまとめて。あと、銀時からこのネクタイを引っぱがさないとならない。変な模様とか言ったが、もともとは土方の持ち物だ。何年か前の誕生日に近藤がくれた。
「じゃあなんかおごってくれよ」
「サボりがたかってんじゃねーよ」
土方は立ち上がって半分くらいになったたばこをぎゅっともみ消した。
「じゃあさ」
週末空いてたら、いってもいい。 銀時はそのまま戻ろうとした土方の袖をつかんで早口で言った。振り返ろうとすると背中にふわっとなんか、ぶつかってくるものがある。何か、っていうか銀時のあたま。土方のうなじから頬にかけてさっと熱がはしった。恥ずかしさとかこそばゆさとか、それ以上の何か、甘ったるいもの。
銀時はいつもどこか甘いにおいがする。物理的な何かではなくてそういう雰囲気があるという意味合いでだ──甘いものが苦手なのに、いつも土方のことをぞくぞくさせるにおいがする。
肩越しに少しだけ振り返ると、蛍光灯の光が玉になって銀時のまつげの先に溜まっているのが見えた。あわい色のそれはそのものが「まつげ」というよりも、目に差す光のようにみえる。ふわ、とまばたきをすると風を生みそうに見えるのに、まるで羽みたいに軽い。「──俺、誕生日だったし」
「……どうせ来るなっつったって、来るんだろ」
「行くけど」
いいよって言ってほしいんだよ解れよ、 低くした銀時の声が言うのを、土方はほとんど呆然となりながらきく。耳元に注ぎ込まれるかのようなその距離、絶望するほどにちかい。


その距離

20121010