決済印を押す。余分なインクを紙に吸わせて完成した書類を「本日・いそぎ」と書かれたいちばん右のボックスに投げ込もうとして取り上げた時だった。
ぺろっ、と何か小さな紙片が紙と紙の間からするっと滑りおちて、あぐらをかいた土方の膝にぽとんとぶつかった。?
「おい、山崎」
部屋の隅に運び込んだ文机の上でおなじく書類の山と闘っていた山崎を呼ぶと、間髪入れずに「はいよ」と返事がある。これ、なんだ。
「え、知りませんけど」
「おめーのじゃねえのか」
よく見ると紙は何かの形に折ってあるようだった。赤い紙きれの表面に小さな白い斑点が散っている。ハートじゃないですかこれ、くるくると紙切れをまわして何なのか考えていた土方のよこからのぞき込んできた山崎が言って、「いそぎ」の箱に溜まった書類をぺらぺらと確認し、立ち上がる。「ちょっと俺、これだけ先に届けて来ますね」
近々の書類が片付いたのは土方がいちばんよく解っているので、もぐもぐと新しいたばこをくわえつつ、手元の紙をまた見た。ハート型。そういえば昔、武州にいた時になんかこんなん、……

いやな予感がして障子を振り返って、かすかに開いていた隙間をきちんと閉じてから、そろそろとその紙切れの折り目をほどいた。なるほど、それは手紙だった。ハート型に折ってある手紙、あざといほど解りやすい。よく見たら土方へ、と隅っこにわかりにくく、だが必ず目に留まる位置に宛名が書いてあった。こんなところまであざとい、中身は。
元気か、とそれだけ書いてあって、ちょっとどきっとした土方のことをその変に乙女チックな手紙は裏切った。字には見覚えがある。こんな凝った形に手紙を折るとすればおんなだろうに、書いてある字は紛れもなく男のもの、しかも見覚えがある。
一日に何枚も書類を読むので、土方はひとの字を覚えることに慣れてしまっている──その道の専門家にはもちろん敵わないが、一度見た文字は二度と忘れない。真選組の隊士のものではなくて、これは。
かっとうなじに熱がこみ上げてきて、ごまかすように土方は後ろ頭をがりがりとひっかく。誰がこの部屋のようすを見ているわけではないだろうが──そう願いたい──、嫌みなくらい恋文でござい、という外見を繕って、それでいてこんな、どうでもいいような内容の手紙を、わざわざ紛れ込ませるようにして自分に宛ててくる相手に、土方はひとりしか覚えがなかった。くそ、 照れくささに悪態を漏らして、ぶつくさと「たばこ切れた」と誰に聴かせるでもない言い訳を呟いてしまうくらいには、照れくさかった。くそ、最近、会えてねーし。



自販機まで行って、戻ってくるのに部屋を空けていた時間なんてほんのわずかだ。だから土方はほとんど油断していて、むしろ何も考えていなかった、というのが正しかった。照れくささでゆるんだ顔はまだ元に戻っていなくて、そのままがらっと無造作に障子を引くなり、固まってしまった。予期しない人間が、そこにいたからだった。山崎じゃない、近藤でも、というか真選組の人間じゃなくて、土方がさっき考えていた例の、部外者だった。くわえたまま火を付けるのを忘れていたたばこがぽろっと落ちて、靴下のつま先にぶつかって転がる。「……万事屋」
ここで何してやがる、そう言いつつ障子を後ろ手に閉めてしまったのは、何となく気まずかったからであって他に他意はない。本当に、…本当に? 部外者は立ち入り禁止だからだの俺は仕事中だ、だの、スムーズに口から出てしかるべき言葉よりも先にまるで許容するみたいに部屋を密室にした自分のことを、冷静になってみれば後悔するだろうが、その時はとっさに、こうする以外の行動が思い浮かばなかったのだった。
うなるように呼ばれた銀時の方は、一瞬「しまった」という顔をしたものの、土方が障子をしめるのを見てむしろ、驚いたようだった。その手にこっそり握っていた紙切れ──さっき土方が開いたのと同じ形をしたやつで、色は水色──が転げ落ちて、畳の編み目に変な角度で突き刺さった。それを、土方の手が拾い上げる。ハート型。やっぱり、小さく折り目に「土方十四郎さま」と宛名がある。
「……ンだよ、これは」
「いや、…最近会えてねーかな? みてーな?」
がりがりと頭を掻きながら銀時はごまかしにもなっていないことを言う。土方は無言のまま、折りたたんである折り目を開いた。また一言、「銀さんは元気です」 顔をあげて、まだ視線を逸らしている銀時のかおを見る。なるほど、というか、言われなくても解る。確かに会えてはいないが、土方はほぼ毎日巡察で街を回るし、時々は銀時たちの姿を遠目でも見ることがある。だからというんじゃないが、特別最近何事もなく、万事屋のメンバーが元気でやっていることは知っていた。そう言うと、まあそうなんだけどォ、と変に間延びした声で言われる。
そこから沈黙が満ちた。こち、こち、と机の上に置いた時計の秒針がきざむ時の音以外、ふたりで居るには少し広すぎる土方の部屋に音はなかった。

「それで」
ややあってから、土方はやっと口を開いた。銀時が顔を逸らしたまま、目だけをこっちに向けてくる。小声になってしまったのはおそらく、部屋の前を誰かが通り過ぎる気配があったからだろう。山崎、ではなかった──あいつなら足音でも解る、と土方がいつぞやか言って、銀時が機嫌を損ねた、とかそういう話はまた今度──。近くなった足音がすぐに離れていく。ごくり、と変に緊張しつつ、土方は続ける。 おれは、これに返事でも出せばいいのか。 銀時の赤い眼がひたとこちらを見て、土方はふと、思う。もう何度もこの目を見ているはずなのに、何度息が止まるような思いを味わうんだろう、などとらちのあかないことを思い、つばをまたひとつ飲んだ。




こい文

20121024

おまけ