大慌てで家んなかに飛び込んだら、土方くんがすぐ傍にいた。ていうか、トイレから出てきたとこ? だったみたいな。まだ上着を着たままでいるのをみて、思わずどきっとしてしまった。まるで今すぐ帰ろうとしてるみたいに見えたからだ。
「…おじゃましました」
「おう」
 それから、土方くんの第一声が過去形だったからだ。だって普通、ひとんちにきたら「お邪魔します」ては言うけど、しましたっては言わない。帰るときにいうのがそっちだ。土方くんはたぶん、俺がいないときにあがったからって意味合いで言ったんだろうけど。でも俺はどきっとしてしまった。なんでかはわからない。寒かったからだったりとか、久しぶりで余裕がなかったからだとか、もしかしたら、さっき押し付けられたチョコの箱のことをこのとき、思い出したからかも。
 土方くんの目が俺の顔を見、それから、その箱を見た。ふちの青みがかった、ぞっとするほど深い海の色をした墨いろの目だ。物憂げなと表現してしかるべき目元。人形みたいななっがいまつげが俺のぶしつけな視線からきれいな彼の目をかばっているように見える。俺はあわてた。いろんな意味で。
「久しぶりなのにもう帰っちまうみてーじゃん、それじゃ」
 どきっとしたのをに気付かないふりをして、慌ててくつを脱ぐ。つっかけのサンダルにしてってよかった、まじで。それからさりげなさを装って、両手に抱えていた段ボール箱の中にひょいとその真っ赤なハート型の箱を投げ込んだ。自分で買ってきたんですよみてーな顔して。くそ、やっぱもらわなけりゃよかった。しかもなんかこの箱重くねえ? ──あとで一応開けてみたけど、箱のかわいらしさを裏切って、箱んなかにはチョコがこれでもかってほど入っていた。ついでに、納豆くさかった。なんだこれ。結局食う勇気が出なくて、捨てちゃったけど。チョコに罪はねえし食いもんそまつにすんなって言われそうだけど、でも銀さん、チョコと納豆のコラボは無理があると思う。ひとには食えるもんと食えないもんがある──「食えねーもんないよな?」
 土方くんは好き嫌いとかない、すげーいい子だ。知ってて訊いた。マヨネーズ中毒なのだけ何とかすればの話だけど。
「何だよ、今さら」
 案の定、彼もそう思ったらしい。知ってるだろ、そう言いたげにちょっと笑った顔は照れたときの顔だった。あーもうかわいい。土方くんのかわいさで俺がやばい。
 上手くごまかされてくれたのかなって願いつつ、俺は土方くんからまずは上着を受け取った。それから家人の帰宅を待って暖房も入れずにいたんだろう、寒い部屋をまずはあったかくするべく、こたつとホットカーペットと、あとヒーターを一気につけてまわった。それから、夕飯の支度にとりかかる。

「テレビでもみてろよ」
 そう言った俺の呼びかけに答えず、土方くんはすっと台所に入ってきた。ぱちんと流しの上のライトを点ける。つまり、これが俺の呼びかけへの返答ってことだ。ふたりでやれば早いだろって、言いたげなかおをしてる。またその目が俺に向く。ほんとにきれいな目だ。目だけじゃないけど。


 それからふたりで鍋の準備をした。土方くんはあんまり料理がうまい方じゃない。俺だってひとのことは言えたクチじゃねーけど。だから皿を出してもらったりとか、コンロを出してもらったりした。あと野菜を洗うんで使ったざるとか、菜箸なんかを洗ってもらったりとか。おもにお手伝いってやつ。片づけも土方くんがやってくれる。これは、俺んちに来たときの定番だけど。
 鍋はふつーにうまかった。銀だらの奪い合いをしたり、白菜を互いの取り皿に放り込んだり。締めの雑炊に卵を落とすかどうかでもひと悶着あって  結局入れなかった  俺はビールを一本開けたけど、飲み過ぎて以下略なんてことが起きたら困るからかなり気をつけてちびちびと五百ミリ缶をあけた。
 土方くんが時々、俺のことをちらっと見るのには気付いてたけど、お酒のみてーみたいなそんなのかな、って思ってた。確か夏にも一回飲んでみるかって訊いてみたことあったっけ。土方くんも早くお酒飲めるようになればいいのにね、まああと二年だから、もうすぐだし。誕生日になんかワインでも開けてお祝いしたりしたら楽しいだろうな。土方くんはなんとなくのイメージだけどお酒はあんま強くなさそうだ。酔ってふわふわしちゃったりしちゃうのかな。見てーなぜひ。見せてください。 そんなことをちょっぴり酔った頭で考える。
 ここまでは、すげー幸せだったって、過去形だ。ここがポイント、


 からになった缶をテーブルに置くと、とこん、ってなんか頼りない感じの音がした。音に興味を引かれたのか、テレビを見てた土方くんがこっちに目をやる。さっきからずっと、彼の横顔を見ていた俺と目があう。
 ちょうどテレビはCMが流れ始めたタイミング。俺も引っ張られるように、土方くんを見つめ返した。うすく開いてる口の、内側がすうと筆で朱を引いたようにあかい。きれいな血の色だ。舐めてーな、って思った。足の付け根の、あからさまなとこがじわっと汗ばむ。そんな飲んでなかったつもりだったけどばたばたしてたのもあって自然に禁酒を強いられてたから、思った以上に俺もアルコールが回ってたのかもしれない──でも、俺が顔を近づけても土方くんも嫌がらなかった──。いいわけみたいに言うなって言われるかもしんないけど。

「してもいい、」
 初めて彼にキスした時もおんなじふりをした気がする。いざってところでイエス・ノーを土方くんに選ばせている、俺はほんとにずるいおとなだと思う。土方くんがそれを許してくれるからつい調子にのってしまう。ずるい上にだめなおとなだ。自覚はしてる。直せないだけで。
 前みたいに、土方くんは「訊くな」って低い声で答えて、俺が寄せた顔を拒まなかった。伏せたまつげが長すぎて、いっそ作り物めいてる。おんなのこみたいにまつげに化粧なんかしないから、普段はそんな意識なんかしねーけど、伏し目がちになったとき普段とのギャップにそわっとしてしまう。キスだけなら前に会った時もさんざんしたけど、自分ちでするのってなんか違う、気がする。しかも、イベントにかこつけたお泊まりの前哨戦だ。
 短く整えられた爪は少しだけ白い部分が伸びてて、きれいな形をしてた。これって整えてんのかな、もしかして? 土方くんはお姉ちゃんがいたはずだから、お姉ちゃんにやってもらってたんだったりして。それともお母さんに? 爪をきれいにする土方くんとか、なんかもうそんだけでえろかった。少なくとも、俺にとっては。
「せんせい」
 いったん口をずらしたら、土方くんが俺のことを少し上がった息の中で呼んだ。伸びてきた手はすがりつこうとしているようにも、俺を遠ざけようとしてるみたいにも思える。都合良くくっつきたいんだって解釈して、また口を押しつけた。
「ん、む」
 くっつけたくちびるの隙間から、ぷちゃっていう泡のはじける音がもれる。土方くんは舌を使うキスが好きなんだろうなってふと思った。だってちょっとこうするだけで、とろっとした顔になっちゃうから。すげーえろい。うまくはないけど、俺がするのに応えてくれようとするそのたどたどしさがいじましくて、かわいい。口の中をほとんど無理にするみたいになめ回して、ふるえる彼の舌を吸った。びくん、と舌の根っこの部分がふるえて、俺のを押し出そうとするように舌先が押し返してくる。もしくは、からめ返してきたとも言えそうな動きだったので、やっぱり俺は好きなように解釈することにした。服の上から腰のラインをなでさすっていた手を、セーターの裾から潜り込ませることにする。
「あ、っ」
 土方くんは敏感だしくすぐったがりだから、俺の手が自分の肌にぺたりと触れた瞬間、びっくりしたみたいに小さな声をあげた。その声のふちが甘ったるくふるえてるのがどうしようもなくすけべたらしい。これわざとじゃねーのかな、もしわざとだったらすげえ悪女だし、そうじゃないならなんかそういう、やらしい方面に天性の才能があるとかそういうのなんじゃないかなって思う。どっちでもかわいいから、おいしいけど。うるんだ目が上目遣いでじっと見てくる。俺の方がほんのちょっとだけど背が高い。座高がって意味じゃなくて、いや座高も俺の方がたけーけど。その話はともかく、上目遣いは今この場で、すげー破壊力だった。
 腰を撫でてた指をつつつ、って下腹部に滑らせて、デニムの上から股間を撫でてみる。二回目だし、このまま雰囲気でやっちゃって平気かまだわかんなかったからだ。土方くんはふっ、と詰めていたらしい息を吐いて、困り切ったように長いまばたきをした。それからまた俺のことをひたと見つめてくる。
「……せんせい」
「なに」
 そこを撫でる人差し指にちょっとだけ力を入れると、土方くんが息をごくんと飲んだ。俺がいじっているそこがじんわりと熱を帯びてきてるのがわかる。まだ何もしてねーのに。若い子ってすげーな、なんてことを思いつつ、しかけてるのは大人げない俺だっていう、矛盾。
「おれ、風呂、まだ」
 俺がぐりぐりとそこを指先で捏ねるようにしたので、最後の音が跳ねてとんでもなくいやらしい言葉のように聞こえた。シャワー浴びてないって、確かにいやらしいけど。でもそれを土方くんが、しかも息を乱して言うってところで更にいやらしさが増しましになってる感じがする。俺の彼氏まじでえろい。俺はごくんと息を飲んで、「せんせー気にしねーよ」って言った。むしろご褒美じゃねってむしろ思うくらいだったけど、引かれたらいやだから、そこまでは言わなかった。ベルトに手をかけて、少し熱を持ち始めているそこを露わにさせようとする。
 と。


「銀八」
 さっきまでとろんとしてシロップをかけた果物みたいな声を出していた土方くんが、存外に冷静な声で俺のことを呼んだ。ちょっとびっくりして顔をあげると、そこには泣き出しそうな土方くんのかおがあった。彼がせっかく伏せた顔も、俺がうつぶせになって、体を乗り出すような格好でそこをいじくってたから丸見えだ。蛍光灯の光をうけてつやつや光っている彼の黒髪が、土方くんがみじろぎをするたびにさらりと滑る。
「おれ、」
 何かを言おうとして、土方くんは失敗した。それから、ぼろっと特大の涙をこぼすなり、俺の手を振り払って、ごめんって言葉だけを置き去りに、ばたばたと家から出て行ってしまった。





二度目は初夏に起きやすい