神楽は小学校で給食が出るし、銀時自身は普段会社の近くで弁当を買うとか、手早くうどんを食べに行ったりすることが多い。あと大戸屋とか、気が向くと銀時の勤め先の、大通りを挟んだ斜め向こうのビルに入っているバーガーキングまで歩いたりもする。そこにはそのほかにもケンタッキーだのロイヤルホストだの、スパゲッティ屋の五右衛門とかも入っていたりするので、これ! というメニューが思いつかないときにはそこに行く。
 つまり何を言いたいかと言うと、自炊をしていたとしても、なかなか弁当を作る機会はなかったってことだ。社会人デビュー直後はそんな余裕はなかったし、仕事になれてからは昼休みに打ち合わせも兼ねてランチをとることもたびたびあったので、そういうのも原因のひとつだった。

 結局弁当箱は見つけられず、銀時は人前で出しても恥ずかしくない、ちょっときれい目のタッパーを探すことにした。が、百均で買ったものばかりだし、古くなってパッキンがちょっと割れているのをラップをかけて使っていたりするので、持ち歩きをするのになかなか向かなそうなものばかり。タッパー入れに使っている戸棚のひとつをがちゃがちゃと引っかき回したあげく、ジップロックのタッパーが戸棚の奥で埃をかぶっていたのを見つけ出して、引っ張り出してきた。昨日取り分けておいたグラタンを詰め、はしっこにミニトマトを詰めたら、弁当が完成した。念のため、こぼしたら困るのでジップロックに入れたうえ、デパートの紙袋に納めて、それを下げて家を出た。


 なんとなく、左隣の土方さんちの方を見てみる。銀時の家と同じ、グレーの重たい鉄製のドアはしんとしていて、そこからがちゃっとドアを開けて土方さんが出てくるとか、そういう気配はまるで感じなかった。それにちょっとだけ残念な気持ちを抱えつつ、今日はきちんと忘れずにしてきたマフラーをまき直して、銀時はいつも通り駅へと向かった。昨日と同じく、スカートを押さえながら坂道を登っていく女子高生とすれ違う。
 またちらっと振り返ってしまう銀時に気づかずにふわふわと息を吐いている彼女の視線をよく追うと、坂の上にどうやら、彼氏がいるらしい。なんかいいよな、青春ってやつか。別に彼女が今すぐ欲しいわけでもなかったが、でもああいうのは素直にいいな、と思う。信号待ちの間にふたりが坂の上で合流して、一緒に歩いていくのを見送って、ふう、とため息を吐いてしまう。まじどっかに出会いとかないもんかね。そう思いながらいつもの電車に乗り、いつも通り会社についた。昨日エレベーターに乗り合わせたあの美人とか。 そう思っていつも通りエレベーターホールでエレベーター待ちの列に並びながらきょろきょろと周りを見渡すが、残念ながら見あたらなかった。ふう、とため息を吐いて、IDを首から提げる。
 結局銀時はいつものように、ひとり休憩室で弁当を食べた。いつもと違うのは自作の弁当ってところで、寒い思いをして外に並びにいったりしなくてもいい分、普段よりも二十分ちかく休憩を長く取れたっていうところか。

 銀時の勤め先の休憩室の窓際には十五分だけ無料で使えるマッサージチェアが四台ほど(中途半端な数字だが、最初五台あったのが、こわれて四台になったらしい)置いてあって、十五分間であれば誰でも無料で使うことができる。そこまで大企業ってわけじゃないがそこそこ人はいるので、同じようにひる休憩を早めに切り上げて、マッサージチェアに座りたいっていう人間も多い。なので、長時間独り占めしないようにするためのルールらしかった。十五分経つと自然とタイマーが止まるようになっているので、そうしたら次の人に交代するのだ。
 一番奥の椅子が丁度空いたところだったので、そこにすべりこんで、ふっと目を閉じる。今日は、帰ったら何を作ろう。昨日は本当に、久しぶりに楽しかった。友だちは少ない方じゃないが、自宅にあげて、あんな風にどうでもいい話をだらだらとして適当に別れる、みたいなラフなつきあい方をしているやつらには最近会っていなかった。だからかも。詳しいところはわかんねーけど。
 銀時は友だちも交友関係も広いことは広いが、いきなりそこまで仲良くなったりするようなタイプじゃない。むしろ顔見知り程度の知り合いならすごく多くて、そこから先、友だちと呼べるほどの関係となるとなかなか難しい方だった。わりと、その前で一歩立ちすくんでしまう。それは相手に問題があるというよりも、銀時の方に問題があったりすることが多かった。何となく、うまく言えばいいのか解らないが、そうなりたくない、と思ってしまうのだ。
 なんと表現するのが正しいのかは銀時にもわからないが、なんというか、銀時はそんなにあれこれほしがる方じゃない。あれもこれも、というよりも気に入ったひとつかふたつがあれば平気だし、それは物欲だけじゃなしに、友人関係についても当てはまる。携帯に登録されている数もそう多くない。腐れ縁の桂ことヅラいわく「我は強いが欲はない」というやつ、らしい。ヅラの言うことのほとんどは意味不明で、日本語に似てる「ヅラ言語」みたいなものがあるんじゃないかって気がするぐらいなぞなことばかり言うが、学生時代に言われたこの言葉だけはじわ、と銀時の中にしみこむみたいにして落ちてきて、腹の奥にいまでも居座っている。
 今までの人生でずっと長く続いている友人なんてかず数えるほどだし、それも十人いるかいないかだ。でもそれに不便は感じたことなどないし、もっと友だちが欲しい、などと思ったこともない。むしろ満ち足りていて、多くは望まない。今手のひらにある幸せで十分、生きていけるタイプだ。冷めてる、と言われることもあるが、そう言われても仕方がない、一応自覚はある。でも今更どうしようもないし、別にわけわからなくなるぐらい友だちがいたっていなくたって、銀時は銀時だ。ひとりで生きていける。そう思っているからかもしれない。
 とはいえ出会いを拒むわけじゃなし、なんとなく気が合いそうな、そうでないにせようまが合いそうな相手と偶然出会えたというのはラッキーだし、嬉しかった。会って少し話しをしただけで、こんな風に思うのなんか久しぶりだ。シチューにしたら来てくれるっつってたし。そんなことを考えながら、ごりごりと揉み玉に肩を揉まれて、昼休みは終了した。



夕焼け坂、登って五分