小料理屋など呼ぶのはいささか店が小さいし出している料理も俗っぽいが、この店はちまちまとした京のおばんざいのような気取らない素朴な料理が売りで、そこが気に入って足しげく通っているのだった。値段がそう張らないのもいい。それと店に入るまで忘れていたのだが、秋の終わりから春にかけて、「店主の気まぐれ」で京風おでんをやっているのだ。これがなかなか美味なのだが、仕込みに時間がかかるからと滅多にやらない。常連客はもちろんみなそのことを知っているので、たまにおでんがある日にいきあっても、今日の分は終わってしまった、と言われてしまうことが最近続いていたのだった。
 ちらりと土方の前を見ると、まだ湯気をあげているがんもと卵の入った皿があった。つまり今日はアタリってことだった。しかもこの店のいいところは、こぶならいくら頼んでも無料だってことだ。前に何度か、「今日はあと五百円でしのがなきゃなんねえ」みたいなことがあってビールの他にあれこれつまみを頼む余裕がないとき、この店のおでんの、こぶともち巾着を頼んでちびちびねばる、なんてことをさせてもらっていた。ツケも結構たまっているような気がするが、今日はもしかしなくても完済できるかもしれない。何せ、滅多にない実入りのよさだ。しかも最近わりとまじめに働いているので、あぶく銭が入らなくてもここのところは懐は結構暖かいのだった。
「あー、さっき終わっちゃったのよ。ごめんね」
 さっきのおしぼりと同じようにカウンターの向こうからビールジョッキと一緒に突き出しの切り干し大根を差し出されたのを受け取る。ジョッキはよく冷えていて、おしぼりで暖められていた指が少し驚くほどだった。「まじかよ」
「あ、ふろふき大根ならあるけど」
「おー」
 じゃーそれ、と答えてビールをあおっていると、さっき注文をとって引っ込んでいった女将と入れ替わるように、焼き鳥を手に持ったおやじが出てきた。うろんな目つきで銀時のことをじろっと見つつ、うまそうな湯気を立てている焼き鳥を土方に手渡し、
「銀さん、今日ちゃんと持ち合わせあるんだろうね」
 とまったく遠慮のないでかい声で言ってきた。もとより一階はカウンター五席ととふたりがけのテーブルがふたつあるだけの狭い店だから、おやじのでかいだみ声は全員に聞こえてしまったろう。もちろんそれが聞こえていただろう土方もだ。彼はその声を聞きつけ、すっと顔をこちらに向けた。
 さっき目があって以来銀時の存在を無視していた土方の顔がふと上がり、そこにいるのが銀時だと改めるかのように、まじまじと見つめてくる。その常であれば鋭い視線がいつになく酒のせいでゆるんで心なしか目尻が赤く見えたりするのがよくない、銀時はなぜか気まずくなって慌てて顔を逸らした。なんとなく見てはいけないものを見たような気分がしたのだった。たとえるなら親友の彼女の下着をうっかり見てしまったみたいな気分とでもいうと正しいのか、酔っていつもの険のとれた土方の顔は、その見事な──としか言いようがなかった、同じ男ながら──顔の造作をことさらに強調していて、ひとの目を惹く。それは銀時であっても例外ではないようで、一瞬ちらりと見られただけなのに、へんにどぎまぎしてしまった。まなじりの朱色が罪深い。 そんなふうにヤローに対して思う日がくるなんて。多分この時点で銀時もだいぶ酔っていたのだろうが、あいにくとそれを指摘してくれるものは誰もいなかった。

 結局「ある」といわれていたふろふき大根の方もさっき入れ違いで終わってしまったとかで(どうやらあれこれと銀時の食いたいものを食い散らかしているのは二階で宴会をしているやつららしい)、また裏から出てきた女将にごめんねえ、と手を合わせて謝られてしまった。おわびに、と作りたてのいかの塩辛をもらい、ちまちまそれをつつく。塩辛はうまかったが、おでんの口になっていたのにちょっとしょんぼりしていた銀時の横で土方はいつもの涼しげな我関せずといった風の顔をしていた。懐からおもむろにマヨネーズのボトルを出し、豪快に焼き鳥にぶっかけて、せっかくのうまそうな焼き鳥を台無しにしている。ちら、とそれを盗み見てもったいねえな、と思っていた銀時の心の声が聞こえでもしたか、彼がふと思いついたとばかりに顔をあげ、なんとなく土方の気配をうかがってしまっていた銀時に、
「おい」
 と無造作に声をかけてきた。
 二度呼ばれてさすがに無視するわけにもいかなくなった銀時は塩辛から目をあげ、「なんだよ」と返事をする。
 土方はさっきよりもさらに出来上がっていて、それを見たとたん「あーこいつ色白いんだな」なんてことが急に頭に浮かんだ。耳まで赤くなっていて、そうなっていない胸元、鎖骨のあたりの色の白さがやけに目に付いたのだった。 とはいえ、それに対してなぜ自分がどきどきしているのかという理由の説明にはならないが。
「さっきからテメーおでんだのふろふきだの、煮込みでも食いてーのか」
「いやそのくくりはどうかと思うけど。まーそういう舌の日ってやつ?」
 土方は自分から声をかけてきたくせに、銀時の適当な返答に対してはふん、と鼻をならしただけだった。クソ、何なんだよオメーは、直視できないもどかしさもあってそう銀時が逆切れしそうになった矢先、土方がついと自分の前に置かれていた、おでんの皿を突き出してきた。もちろん、マヨネーズがどっかりかけられて、せっかくの煮汁にもふよふよと溶けているのが見えるが。
「まだ箸付けてねえから、食うか」
「え」
 銀時は目をしばたいて、土方のことをじっと見返した。なにせ、自分たちは犬猿の仲だ。
 銀時は土方のことが気に食わないし、土方も右に倣えだろう。互いに変なところが似ているから、その分いやなところが強調されて目につくのだ。それに土方ときたら偏屈だしキレやすい。銀時が今日は平和的に納めようとしているところでも、こっちが軽い気持ちで言ったひと言に噛み付いて、大事にしてしまう。だから平和に過ごしたければ顔を合わせないようにするしかない。なのに変に思考が似ていたりなどするものだから、だらだらと決めた先で鉢合わせしたり、とっさにとった行動が似てしまったりする。本当にたちが悪いし、できたら係わり合いになりたくなかった。特にこんなふうにいい気分の夜は。

「……マジでオメー、土方?」
 そう銀時が疑ったのも無理はなかった。少なくとも、銀時に言わせればの話だが。確かに土方のことを苦手にはしているが、しいて言えば自分のことをより毛嫌いして目の敵にしてくるのは土方のほうだった。もちろん銀時も負けず嫌いだし口が悪いので、顔を見るなりいやなやつにあったとでも言いたげなかおをされていい気分がするわけもなく、クソがつくほどまじめで頭の固い土方のことをからかったり小ばかにするようなことを先手必勝とばかりにあれこれ言ってしまうのは事実だったが。
「ンだテメー、こっちが珍しく仏心出してやったってのによ」
「いやだって、マジで言ってんの? 俺に?」
「テメーが隣でぬれた犬みてーなしょぼくれた顔してっからだろーが!」
 どんな顔だ、そう言いたかったが、酔っていつもの鋭さを失った土方の目が、どことなく寂しそうに見えたので銀時は黙った。考えてみたらこんな桜のきれいな夜に土方はひとりだ。何がしか思うところがあるのかもしれない。ちょうどこっちもひとりだし、いつものように大人気なく角突き合わせてはわあわあとけんかをするだけじゃなくて、他にもう少しできることがあるかもしれない。そう思ったのだった。多分、酔っていたというのもあるだろうが。
「…じゃあ土方くんの珍しい好意に甘えてやるとすっか」
「テメーはもらう立場だろうが! なら食わなくてもいい、返せ」
「つーかオメーこれもうマヨネーズじゃん、何食ってっかわかんねーじゃん」
「あっテメ全部食っていいなんて誰が言った! 返せっつっただろーがァア!」



もちろんもしもの話ですけど